人は考える葦である、と言ったのは誰だったか。
誰だったかなんて言ってるまにググればわかる。パスカルだ。
べつに誰が言ったのかはここでは関係ない(一般常識として知っとくべきだけど)
ここで言われる葦っていうのはもちろんひょろっと細く一本では頼りなさげなあの川辺の草だ。
人間もただ突っ立っている葦みたいなもんだと。弱弱しいものだと。
しかし人間は考えることができる(ほんものの葦が考えてるかどうかは知らないけれど)
こりゃすごいことですよ。だから尊いのだと。可能性大なのだと。
弱っちいのが強くなれるのはそこだと。
しかしどうだろうか。人間は考える葦となっているだろうか。
考えることとはまず想像してみることだ。想像なくして創造はありえないし、知識も得ない。
そして想像するということは、都合のいいことばかりじゃなくて万遍なく対面したことすべてに行わなければならない。
嫌なことは想像しないようにしちゃうでしょ。もちろんどこまで想像することに意味があるかも考えなければならないが。
公共の交通機関で赤ちゃんが泣きやまないのを、お母さんに文句をいうとか
殺人事件の容疑者が捕まったもしくは捕まってもいないのに死刑にしろというとか
まじで考えてる?
人間が人間でたりうるには”うかつ”ではいけない。よく考えずものごとを行い、その結果さえ思いもよせないなら人間ってなんだ。
パスカルはヒントをくれた。
「俺は(わたしは)考える葦だ」ってちゃんと言おうよ。
人間だものちょっと考えようよ。
他者を糾弾したりするときこそ、まず想像力を発揮しなきゃ葦以下になるぞ。
蛇足になるがパスカルはフランスの哲学者だ。「考える葦」は彼が残した「パンセ」という書にある。パンセは彼が書籍化するために書き溜めていた数多くの記述を彼の死後、遺族らによって編集された。パンセとはフランス語で考えること、思考のことだ。
またパスカルはこうも書いた。
「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。。。これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、あらゆる行為の動機である」
幸福とは何か、生きる意味とはなにか、ということもたまには考えてみたいものだ。

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