(自詩)どんこなます

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どんこなます

俺の息子が生きてりゃよ
 今ならメジャーでホームラン打ってるよ
 あんな赤いユニフォーム着てなあ
 治郎さんの最近のくちぐせ
 そうだね僕もそう思うよ
 治郎さんはこのごろ
 その息子以外
 昔に戻ってしまったようで
 一緒に亡くなったはずのばぁさんが
 ゆうべ作ったという
 どんこなますを帰りにもってけと言う
 もってけよ
 旨いんだからばぁさんのなますは
 正月だけじゃもったいないんだ
 お前にももったいないんだけどな
 治郎さんの潮に焼けた笑い顔
 笑う背に夕日が落ちる
 いまだ何もない海っぺり
 治郎さんの家があった場所
 沖のカモメも赤い空に黒く
 治郎さん送ってくよ
 あ、ああ

 他に車など見えぬ復興道路を
 山道へ入ってく
 もう海の匂いはすっかりしない
 暗い道に止める
 虫の声もカエルの声もない
 治郎さんおやすみ
 おおまたな
 僕はあるはずのどんこなますを
 大事に助手席に置いて
 治郎さんが慣れない手で
 暗い玄関を開けて入るまで
 バックミラーでみている

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岩手の田老町はあの大震災でほとんどまっさらの更地になってしまった。家々がひしめきあっていた町はほんとうに何もなくなってしまった。古くからの民宿も漁労にたずさわる人たちの家も1件だけのガソリンスタンドもあたらしくできたローソンも嘘のようになくなってしまった。田老町には万里の長城とも呼ばれるような巨大な防潮堤があった。高さは10mもあるほんとに万里の長城だ。しかも海から何百メートルもはなれていたところまで。それに守られていたはずの町はすっかりなくなってしまった。軽々と波は超えたのだ。

あの風景は忘れることはできないだろう。船がコンクリートの建物を超えた向こうにあったり、その建物の庇の上に車がのっかっていたり、どうすればこんなに捩じることがことができるんだというくらい捩じられた車もあった。
ただただ何もなくなったがれきの町に、ああこんなに広かったんだと呆然と不謹慎にも思った。

その海のそばの町にはもう人は住んではいけない。
今は道の駅や野球場が出来た。あと広々した駐車場。ローソンもあらたにできた(元のローソンでは最後まで店を守ろうとした人が亡くなっている)

被災した住民はついこの間までグリーンピアにできた仮設住宅に暮らした。ほんとついこの間まで。
もしくは険しい山道を入った、農作業用の小屋を改造して住む人もいた。
今、元の町の北側の山の上が切り開かれようやく新しい町ができた。しかし長い歳月の間にみなどこかへ移住してしまったか、元の人口よりだいぶ少ない軒数だ。

どんこなますは三陸海岸でも田老よりもう少し北の田野畑村の郷土料理だ。どんこは三陸の人が好きな魚でアイナメの一種だ。骨が多いけどおいしい。
実は僕はどんこ汁は食べたことあるがどんこなますはない。正直どんこのなます、あまりイメージわかない。
でもどうしても三陸の海のもの、どんこを使いたかった。しかしどんこ汁はあまり人にあげないな、汁物だしな。で、正月料理らしいけどどんこなますにした。
どんこというすこしのんびりした響きと愛嬌のあるフォルムをした魚がこの未曽有の過酷な状況と対比されるうで、どうしても入れたくなったのだ。

震災復興として作られた野球場は「キット、サクラサク球場」という。
僕が見たとき草野球かなにかやってて、けっこうなおやじさんたちがかぶりつくように眺めていた。
歓声をさしてあげるでもなく、ただ眺めている。やたら金属バットがボールを打ち返す音が響いていた。
その時急になぜか無性に悲しくなってね。もう何年もたっててだいぶ感情の高ぶりはなかったのだけど。
なんかあの金属バットのやたら響く音と、まっさらに新しい野球場は悲しかった。

それと後から聞いてしったのだけど、やたら港にいる鳥はウミネコなんだそうだ。三陸といえば銘菓「カモメのたまご」なのでずっとカモメだと思っていた。
で、ここでもカモメとしちゃったんだけど調べたら春まではカモメもいて、ウミネコと違ってカモメは渡り鳥なので去っていくもののようだ。
それじゃ僕が見たシルエットはカモメかもしれず、またカモメは去る鳥で海が遠くなってもこの場所を去ることもできず残る海の民と先祖代々住んできた町からはなれた人たちのことをを思ったら、その対比に行く鳥のままでいいかとも思った。

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