(自詩)匿名

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アカショウビンの写真 ( Photo by (c)Tomo.Yun )

匿名

木立よりアカショウビンが
燃え上がる嘴で愛を告げる
深く澄んだ空気に
何にかまうことなく
飛沫を恐れることもなく
愛を告げる

この世界は人間なしに始まった

濁らぬ流れがやさしい歌歌って
千年の樹を慰撫する
数えきれぬ赤い芽の瑞々しさが
長い長い午後を彩る
閉じられる時まで

匿名の僕らは
たとえどんなに離れていても
時間や距離などなかったかのように
ここでは肉体など関係ない
なかったかのように
言葉をかわす

タチツボスミレやキジムシロに囲まれて
彼女は眠ってる
忘れられぬ香り
消え去らぬ地熱
森から立ち上る水蒸気

この世界は人間なしに始まった

霞になった水蒸気
向こうの山々を滲ませて
滲ませ続けて

密集する意味もない顔たちが
また誰かを呪うかのように
笑い騒ぎ叫喚し
他人事のように通り過ぎる
意味のない顔たちが
意味もなく通り過ぎる
意味もなく呪いを蔓延させ

せせらぎをわずか堰き止めた
杉の切っ先赤い実の束
それは去りゆく者たちの残滓
見捨てられた木々の恍惚

肉体なくとも離れることはない
肉体なくとも愛をかわそう

この世界は人間なしでよいのだから

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昔お世話になり思い出もあるポエ会がまた新たになって立ち上がるという。
それで久しぶりに自分の感情を覗いてみたものを残てみようかと思った。

といっても久しぶりなので、すこし距離を感じるし、元来人見知りで、さらに厭世な気分もないとはいえないこのごろなので、少しとげとげしくなってしまった。

今年はじめてアカショウビンという鳥をみたのだけど、美しくてびっくりした。最初鳴き声だけ聞こえて、なんじゃいなときょろきょろしてたらあの赤いくちばしだ。カメラもってなかったし、スマホで撮ろうとしたら画面が固まったしで撮れずじまい。上の写真は素材屋さんにお借りした(http://www.yunphoto.net)

ポエ会がなくなってもう13,4年になるんじゃないか。なかなかの歳月だな。なかなかの歳月、なんだんだろうかな、いったい何してたかなと思いを馳せた。
自分は変わらないのな。ただ自然に親しむようになった。人以外の。

この詩は自然の湿度と僕のウェットだ。ウィットじゃなくね。ちょっとハスだったな。そして人見知りなんだ。

ネットの人間関係という不思議さがある。いやネットじゃなくてもさ、誰にとって誰は誰なんだろう。最終的には人間とは誰なんだろう。コロナウイルスだってきっと人間より前に始まっているのだ。題名はそういう感じ。

timoleonさんのコメントで「人間が名付ける前から、原始、植物の名があったかのように錯覚しました」とあって、ああそうだな、痛いところ突かれたなと思いました。
人間なしで、なんて引きこもったようなことを言っておいて、名前こそ人間の営みそのものじゃないか。



「ながいながい午後」とういのはブライアン・オールディスの「地球に長い午後」のイメージで、あの本はとても好きなんだ。人類を含むほとんどの動物が滅んだ世界で、そこは植物が支配している。生き残ったわずかな人間も10代くらいまでしか生きられない(地球では)
あの世界観は圧巻だし、僕の貧弱な想像力の映像では風の谷のナウシカも見える(宮崎駿さんもかなり影響を受けたんだと思う)
そこに出てくるツナワタリという植物の(蜘蛛のように糸を張り移動する。月まで!)のまどろみに憧れる。食われたくはないが。
でもたしかに山に入って木々や草々に囲まれると、植物の世界のイメージせまるね。

それにしても日本中荒廃した杉の植林山ばかりだ。



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