平行世界
朝焼けを背に山へ入る 近道のために藪を掴んで急登 程なく汗が吹く 切られることが無くなった 杉の木々を眺める 古い切り株は苔むして そこから新たに 更新しようとしている芽 クロツグミのやさしく 問うようなさえずり ラベンダー色の素敵な服を着て 子供たちに囲まれて暮らす 川辺を歩けば 夕焼けは明日の天気を約束し 昼間の熱を冷ますような おだやかな風が抜けていく 永遠ではないけれど 時は穏やかに 家族の声と共に 人の踏みあとと思った道は 獣道だった あの分岐でまちがえたんだろう 道に迷ったが 尾根に出れば問題はない 大きな動物がつけた傷が 広葉樹の太い幹にあった 足を進めるだけで しばらく一人の対話 汗からは寒い国の酒の匂いが かすかに立ち込める どしゃぶりの湾岸線は渋滞だ 閉じ込められた僕ら 君はラクダの話をリクエスト 僕が前にてきとうに作ったやつ 砂漠を長蛇のキャラバンはいく 一番後ろはラクダの上の ベールをまとった君と 口をとって歩く僕 昼間のように明るい月の元 僕らは空港に向かっている やがて頂が見えてくる あそこまで行く人はほぼいない そこは僕の席だ 誰も知らない僕の岩 頂上にて遥か遠方まで望む 左向こうの山に隠れた町があって さらに先は海 海の先には彫刻が施された墓 太陽は雲のベールで あやふやな光を投げる 山の色がすうっと抜けていく 僕らが見渡す世界は有限だ 僕らが見ぬことになる世界こそ無限 極寒の外の風を遮って 暖炉に唐松をくべよう 二人その前によりそう ウォッカを少しだけ どこかに君と静かに暮らす そんな世界もあるかもしれない 歩き疲れた僕を 待っていてくれる静かな闇 誰も置き去りにされない世界 どこかで鳴いてる ふくろう
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2021年6月25日にPoet.jpに投稿させてもらった。
すこし落ち込んでいるときに書いたもので、すこし羨みが入ってみじめかもしれない。
表に出た詩にあとから意味をつけてもしょうがない。読まれたら、その瞬間書いたものの感覚から離れていい。
だけどこんなふうな事も一つの世界としてあったと、しるしておきたい。

僕は山に入ることが多いので、それがこの詩のベース。コメントではあぶくもさんがやはり山に詳しいのか書いてくれた。
大体朝早くから登り始め、たいてい午後早くには降りてくる。夜、彷徨うのはあまりお勧めしない。まだ死にたくはない。ただビバークという名の野宿することはある。キャンプと言わない(言えない)
ここのところウッドショックとやらで日本の林業が見直されているらししいが、まだまだ昭和に植林されてそのまま放置されたままの杉林がほとんど。日本の山の大多数はそのすそ野は植林杉林でどこへ入っても登り始めの風景は変わらない。日本中だ。花粉症の原因だ(花粉症持ち)
しかしじめじめとして放置された杉林、嫌いじゃない。薄暗く、他の植物も入り込みづらい場所だが古い切り株などに世界がある。


クロツグミの鳴き声はとてもすてきだ。山の低い場所に夏になるあたりにやってきてよく歌っている。色んな歌を歌う。ぜひ聞いて欲しい、大好きな鳥(姿は地味だけど)
ただこの日はそれが何しにきたのかと問われているようだった。
2連目はべつのシーンで、何組かのあたたかい家族が浮かべた。それは別の世界で、隣の芝生だ。イメージのぬくもり。
もちろんあの人も。
そんなことを空想しながら歩いていると道に迷う。山では油断は禁物だが、ただ何も考えずに山に登ることに専念できるかといえば、それもできない。
沈思黙考するためというのも山を歩く理由のひとつだ。もちろんキノコやおいしい山菜を見つけたらすぐに沈思は浮かんで霧散しちゃうが。
分岐を違えるのは、あの時ああしてたらという後悔もあるが、もはや意味はない。行くところにしか行けない。尾根道に出れば大抵迷いは抜ける。出たら上に行くしかない。
最近ここらでは熊がでる。出会ってしまったらそれも運命か。
寒い国の酒はもちろんウォッカ。僕のおもう人の国の酒だ。
4連目はまたシーンが飛ぶ。もう遠くなった記憶の世界だ。国へ帰る人を成田まで送っていった。その時の詩を昔ラクダの旅をモチーフに書いて旧ポエ会に出した。もうそれもない。バックアップとってないので。
たしか湾岸線、観覧車とディズニーランドを横目にラクダのキャラバンがいくような話だったと思う、が違うかもしれない(いいかげん)
僕が登るのは地元の名もなき山か観光客はわざわざ登らない山なので、たいてい行き帰り誰にも会わない。あっても地元の山菜取りだ。たまに猟師。
よく行くサンゼン山(字はわからない)は途中ほぼ見晴らしがなく、ところどころやたら急登だが頂はいきなり視界がよくなる。下には緑しか見えず文明の気配はしない。それでも向こうの山を越えれ海沿いの町がある、はず。あるはずが少し不安になるくらい人の気配がない。
この頂の岩に座って見下ろしながら、僕はほんとうに様々な思索にふけるし、空想夢想する。しかしどれも最後はしんみりと無常な思考となりがちだ。
ところでカラマツは油分が多くて火力が強すぎる。暖炉が傷むのであまり使わない。
しかし国が変わればで氷点下が続く国では火力の強さが求められるそう。
そしてウォッカを飲まずには
そして午後の山の静けさとフクロウはいつもやさしい。
モルドバの楽しいお墓を想う。

無限の平行世界があるという考え方がある。実際「時間」というのが多方向に進んでいるという説もある。
また時間の流れ方は空間や重力によっても一定じゃないらしい。エベレストの山頂と海抜0メートルの地上ではエベレストの方がわずかながら早く時間が進むらしい。興味深い。
世界、宇宙がいくつも別にあるのならどんなにも幸せな世界があるのだろう。あるはずだ。
死んだ者が横で笑っている世界もあるだろう。
この自分が歩めなかった世界。
多元宇宙があるということは、ひとつの救いで、幸福だ。そうじゃないか?
誰もが別の宇宙を想うことはあるはずだ。幸せな人だって。
たまに山頂でウォッカを飲み、付近でビバークしながら夢想する。
なんにしろピコシェルターはいつも持ってるといいよね。
山はいい。
追記
この平行世界のことは以前にも書いていた。
やはりボケ始めたか。よほど気になっている(気に入ってるのかはわからない)んだな。酒を控えよう。
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