演説(内閣不信任案決議を眺めて)

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国会終期に野党が内閣不信任案を提出する。今国会もそうされた。それに対し菅内閣の自民党および連立の公明党は過半数議席があるのでそのまま否決された。

この内閣不信任案を無駄だと、提出する野党は給料泥棒だという世論が多い。
しかし僕は国会終期の、しかもこのご時世のようにけんけんがくがくの国会では不信任提出はやるべきだし野党の義務でさえあると思う。
不信任しなければ今国会の施策はほとんど良かったよ、すっかり信任するよとなってしまうからだ。今国会を検証するプロセスは必要だ。検証せずにつき進むのは危険すぎる。だから不信任案の審議はなによりも優先される。

問題は不信任を提出した野党が不信任理由を演説するわけだが、これが弱すぎる。
菅内閣、その前の安倍内閣の言うことも響かなかったが、枝野氏の言うこともどれだけ意味があることを言えたか。もちろん強く言えば弱い論じゃなくなるわけじゃない。

今の一番の話題はコロナなのは間違いない。それに脅かされる国民の命、経済、オリンピック。国が対策を示すことは当然だ。今回不信任されるとすれば、その対応の是非だろう。
まず枝野氏は、今国会が会期延長もせずに閉会する、それでこの戦後最悪な危機に必要な国の対応ができるのか。この一点だけで不信任に値すると言った。これは論理的だ。国民みな不安の中にいる。政府に大きな不信を持っている。こんな不透明な状態で五輪も迫っている。もうこれだけでよかった。あとの話は長い上に弱かった。しかもスガ総理をカン総理と言い間違えパロディにしてしまった。論客としての緊張感なし。台無しだ。

ところで命にクローズアップすれば、実は昨年2020年の全死亡者数11年ぶりに減少した。3万人近く死亡者数が減ったという報道もあった。欧米は死者数はかなり増えたが、日本ではコロナで1万人近く死者が出たのに逆に何万人か減少したのだ。
これが政策のおかげとはさすがに感じない。日本が諸外国と違い優れた政策を行ったと思える点がなさすぎる。思い浮かばない(僕が気付かなかっただけかもしれないが)
マスクをする、手洗いをするなどの日本人のまじめさが他の感染症を抑えたとも思えるし、コロナによる何らかの耐性が日本人にあったのかもしれない(これはやがて検証されるだろう)
政権、政策のおかげとは言いづらいけれど結果オーライだ。もちろんコロナで失った命がある以上オーライなどと絶対に言えないことだが、死者数は減ったのだ。

この事実の元に、野党が政策になんだかんだ言っても響かない。ブーメランのように帰ってくるのは、根拠は?という問いだ。
与党も野党もなんら説得力のある根拠をなにも出せないのがほんと痛い。また能力がないなどいうワードが何度も出たが、やっぱりブーメランのように戻ってきてしまう。能力があるのは誰よ?
根拠とは論理的な説明もそうだけど、なにをやってきたか、それを踏まえて納得できるか。
声の大きさなんて響きやしない。心で納得できるかだ。

日本の政治は演説ベタだと言うのは確かにあるが、日本では演説を受け入れる土壌もないのも問題である。国会中継などどれくらいの国民が注目してるだろう。
例えばイギリスではパブで国会中継がテレビに映されていて飲みながら眺めたりしている。
日本のマスコミは恣意的に切り取るばかりで、どれだけ国民に参加する土壌を作ろうとしているか。視聴率がとれない?切り取ったほうが煽れる?視聴者が文句を言おうと、国会生中継を全民放で流してもいいじゃないか。
まあ日本の国会ではヤジやら子供でも鼻でわらっちゃうような詭弁、のらりくらり、冗長。見てて恥ずかしくなるから、なおさら見ない。映せない。なにをやってるかわからないから、時間の無駄となるのだ。まぁその恥ずかしくなる方々を選んでるのは国民ではあるが。。

ニュージーランドでの同性同士の結婚を認める法律の審議の中での演説が話題になった。ここでLGBTについて話を広げるつもりはない。それとは別に、このユーモアあふれ説得力のある演説とそれをちゃんと真摯に聞く議員の姿をうらやましく思わないか。
この熱意と責任感を感じさせるスピーチにうらやましく思わないかな。

(脱線するがこの動画は前半のいわゆる法案意見とは違ういわゆる「つかみ」の部分が切られてるんだが、そこもユーモアたっぷりで大変よい。「地獄の業火」のとこなんて大笑いしてしまった。さがしてみてね)


政治は言葉だと思う。現政権、前政権もだが、言葉がたりないとかごまかそうとか、なにを説得されるというのか。一番の不信任理由は説明責任を蔑ろにして、しかも具体的なビジョンを示さず国民を混乱させていることだろう。一国を預かるものが説明を放棄するなら、何の誰のための政治か。国民不在が一番の問題だと思う。
そして言葉が響かないものは政治家ではないのだ。

野党は反対だとか批判に明け暮れ、やっぱり国民に何も響く説明が出来ていない。オリンピックは中止すべきだ!緊急事態宣言はどうだ!とか、反対してればいいわけじゃない。
必要なのは客観的で国民が理解と安心ができる説明だ。ただの怒り口調での反対、反対ではビジョンとは言えない。与党がまったく出来ていないというならば、こうならばこう、こうならばこうという納得できる話こそが示さねばならなかったことなのにそれが感じられなかった。反対だけならやっぱりそれも不透明な未来のままであるから、意味がないし、死者数が減り結果オーライなところではなにも響かない。
具体的行動を伴わなきゃなんの説得力も生まないんだ。
たとえばマスクしてないのが蔓延の理由ととらえていて、夜に店を開けることが危機をまねいてると考えているのなら野党が独自に徹底的に見回り注意をすればいいし、逆にそれは危機ではないと経済的にも店を開いて回すべきだと考えているなら率先して夜に宴会でもなんでもしてお店の助け、コロナなんて怖くないとアピールすればいい。
しかしどちらも皆の目が怖いからと行っている行動ははっきりせずなら、与党と何が違うのか国民にはその差がまったくわからない。

つまり内閣不信任案、およびそれが否決されることが問題なのではなく、説得力がない言葉しか生めないものたちの集まりということが問題だ。否決されようとそれに国民の理解が進めば国会の論戦はよかったとなるはずだ。

真剣に聞きたくなり、賛否はおいといて拍手できるような演説を聞きたい。欧米のヤジもなく論説を聞き、すばらしいスピーチなら与野党関係なく拍手をしているのを見ると、こういう響き納得のできる国会がなぜ出来ないのかといつも残念に思う。日本だいじょぶかいな。

ああ、しまった。
ニュージーランドの議員の動画をいれたのに不信任案を忘れてた。最後につける、

俺が俺がっていくら叫んでも、みな根拠を欲してるんだよ。

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