浄土が浜
涙の分だけ人は強くなるだなんていいます どうも僕は例外のようだ どんどん浸食されるかのようにぼろぼろになるのです 涙の塩分が錆びさせていくようです そして今や海綿のように穴だらけで涙を吸ってぶくぶく膨らむのです その凝灰岩の白く脆く 風波で剥離していくかのような いや以前涙は甘美なものでした 泣けばなにかもかも洗い流せるような やがて落ち着けば5月のうたたねのような けだるくも安らかな気持ちになったものでした しかし今やそれは洗い流すのではなく壊していきます 洞穴たる空白はやがて 忘却によりさながら極楽の心地に それは無能を知るということ それは無力を知るということです 絶望は身近で安易です スイッチ一つで絶望はくるのです 泣けば足元が崩れる気がするでしょう でも自分を不幸と思う心の不味さを知ってしまった(それは錆の味だ) それと憐れみというのは安堵なのだと知ってしまった もう泣くのがいやだったので笑うことにしたのです ああしかし笑うこともなんとつらいことか! 僕は一生懸命笑いました 失いたくないと縋り祈ったものを結局失った時も 涙はありませんでした 色即是空 空即是色 もう僕は悲しみから開放されたのでしょうか 大切なものを失っても もう平気なのでしょうか 僕は忘れていけるのでしょうか もしかして僕は強くなったのでしょうか 涙と引き換えに そう悲しくない これから夜行バスに乗って浄土が浜へ行きます 昔、たしか僕が小学3年生のときに家族旅行で行ったのです その時僕は海の美しさに泣いてしまったのです もちろん悲しいのではなくなぜだかよくわかりません 涙をはらはらと流す僕を見て父と母はあわて 「具合が悪いのか?おなかが痛いのか?」と聞きました ただただ首を振っていた僕はまたあの浜に立ち美しいと感じるのでしょうか
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浄土ヶ浜は岩手県の宮古市にある三陸海岸の名勝地。
白い岩と青い海のコンストラストがまさに絶景。
「さながら極楽浄土のごとし」と江戸時代の初期にどっかの坊さんが言ったとか。
さっぱ船という少人数乗りの観光船で海側から青の洞窟に入るツアーが人気。
この詩を書いたのは東北大震災より随分前のこと。
それこそ泣くという感情の変化を書きたいと思った。
あの地震のあとに浄土ヶ浜に行くと、津波で浜は滅茶苦茶で近寄ることもできなかった。大きな大きな遊覧観光船が浜の奥に打ち上げられて横たわった。あの白い岩山を乗り越えてきたのだろうか。
近くの漁村である田老の町は跡形もなく広大な広場になっていた。
あの万里の長城のような巨大堤防が波に乗り越えられ崩されるとは、ほんとうに足元が崩れていくような感覚を味わったな。
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