ドーン・オブ・ザ・デッド Dawn of The Dead

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新型コロナウイルスで世界中大混乱だ。パンデミックだ。
このコロナを彷彿とさせるというか、思い出す映画がある。ゾンビだ。
(この記事はコロナ禍真っ最中の2020年ものです)

「Dawn of The Dead(2004)」を見た。外へ出ずおとなしくしてようということで。
ジョージ・A・ロメロのゾンビのリメイクだ。

元映画となるロメロのゾンビは僕が少年期(小学生だったか中学生だったか)の時に見てかなり深い印象を残した映画だ。

少年期の僕も今の僕もじつは大してホラーに興味があるわけじゃない。
それは恐いから(びびってねーし!)じゃなくて、あまり恐いもの見たさってのがない子供だった気がする(びびびびってねーし!)
あまり肝試しとかで怖いと思わないガキだった。

だからホラー映画でさほどとりたてる物はなかったんだけど、この「ゾンビ」と一番最初の「ジョーズ」、それとこれはホラーじゃないかもしれないが「激突!」は記憶に残ってる。
あとの二つはどちらもスピルバーグだね。
それぞれ「先駆け」としての新しい世界があったよね。だから傑作になる。怖いだけじゃないいろんな発見というか感慨があったんだよね。少年期の僕にも。

なんにしろなかなか「先駆け」は越えられないわけで。「サメ」ものも、「ゾンビ」ものも。

で、このリメイク版「Dawn of The Dead」はどうだろうか。あまり期待はしないで見た。ほんとはロメロのが見たかったんだけどhuluにこれしかなかったんだ。

ロメロ版の「ドーン・オブ・ザ・デッド」、通称題「ゾンビ」。まずこれを紹介する。

〈ロメロ版の有名なエレベーターのシーン〉

ジョージ・A・ロメロ監督はなんつってもゾンビに始まりゾンビで終わる監督だ。ゾンビ監督だ。
死体が蘇り人を襲い、襲われた人もゾンビになるっていう方程式を世に知らしめた偉人だ。ゾンビ方程式。
なにがすごかったかって言ったら、このゾンビ物はただの恐怖肝試し系な話で終わってないってとこだ。
現実の大災害や戦争による世界の危機、そしてそういう状況で起こるであろうあくまでも人間のエゴや葛藤がテーマである。それをホラーに取り込んだ「先駆け」。ゾンビに置き換えただけだね目の前の災害を。
ホラーの中にあるグロやスプラッタなんて、そんな災害や戦争のその真っ只中ではいくらでも目の当たりにする光景だろう。
日本のTVなどでは自主規制により東日本大震災の目をそむけたくなるようなシーンには目をそむけて映像にはならなかったけどね。テレビ局の忖度。
現実の災禍では映画の中の残酷なんてただの絵でしょうな。

さてゾンビという災禍は台風や地震のような局所的な災難ではなく全世界に広がる。今回のコロナ禍のように。
なんせゾンビが噛んだら死んでゾンビになってまたそいつらが襲う。ネズミ算式ならぬゾンビ算に広がるゾンビの世界。人類は分が悪い。

コロナのパンデミックも全世界に及び、もしもっと致死率が高く治療法もなければ映画とおなじになってしまうだろう。実際はそこまでの致死力はないのが救いだけれど。
つまり言うまでもなく今のコロナウイルス大流行とゾンビの設定は同じだ。もともと伝染病をアイディアにしているだろう。

そしてロメロはゾンビに一つの属性を与えた。
人間に比べとても動作が緩慢で、知恵がないのでドアすら開けられないということだ。
この設定が効いている。
最初こそ人間はパニックに陥り次々と殺されてゾンビになっていくが、徐々にわかるのね。こいつらトロいと。
で、やがて人間はゾンビを恐れなくなる。気を付けてればだいじょぶと。それどころか逆にゾンビをゲームのように撃ち倒したりしてね。
慢心がおこる。油断。
それによってやっぱり噛まれる奴とか出て、結局は人類はまずい方へと転がっていくわけだ。

このへんもコロナの昨今に当てはまるだろう?
結局危機意識のムラや油断によって、感染は広がり都市は麻痺していく。終わらない。死者は増える。

かといって永遠に緊張していられるのか。それも無理だ。どこかで糸は切れ綻ぶのだろうな。

ところで僕がロメロのゾンビを忘れられない映画としているのは、その舞台だ。
主人公グループが逃げ込んだ大型ショッピングモール。
ロメロのゾンビはとんでもなく数は多いが動きがスローモーだから、素早く入り口をふさいでしまえばショッピングモールはパラダイス!なんでもあるんだから!
なんと素晴らしい秘密基地。子供のころ作ったなぁ秘密基地。夢のようじゃないか。
このパラダイス感は恐怖映画というジャンルなど関係なく僕の中に残った。いいなぁなんでもあるパラダイス・・

もちろんそれは束の間のパラダイスでやがて破滅していくのだけど。

人間のエゴはこのような非常事態にこそむき出しになってしまうんだな。
外から略奪者の暴走族が乱入してくれば、これは俺たちのモノだと人間同士で殺しあう。
その周りでふらふらしているゾンビ。殺しあってゾンビにエサを与える人間。善悪ってのはゾンビにはない。人間にだけだ。このへんもスーパーの品物を買い占めるとか、誹謗中傷を言うとかこのコロナ禍にも垣間見える事象だな。
また横道にそれちゃうけど、「アイム・ア・レジェンド」というウィル・スミスが主演のゾンビ(?)映画がある。
大人の事情でか上映直前にエンディングを差し替えてしまって、ウィル・スミスが世界を救うヒーローものになったので話は変わってしまったけれど、もともとは通常のゾンビものからさらに一歩思考を進めた話だった。
そのゾンビは新しい人類(生物?)でそこにはその新人類の社会があるって話だった。つまり我々旧人類(?)が必ずしも正しい側というではなく、新人類から見れば仲間を殺すウィル・スミスこそ伝説のバケモノってことになる。
人類と人類ではないもの、っていうのはやはり差別や人間至上主義を感じる。
これはロメロの「ゾンビ」でも描かれる。どんくさく動き回るかつては人だったものをゲームのように殺す(殺すとは言わないか、死んでんだものな)。自分たち以外は人間ではないから抹消してもよい、という大きなエゴを映す。かつては同じ人間だったとしても。
まんま人種差別も出てくるし。
という、この終末的大災害におけるヒューマニズム、人間への皮肉と束の間のパラダイスっていうのがロメロの「ゾンビ」のキーポイントだけどもそれが今回見たリメイク版ではどうなっているか。
ではリメイク版「ドーン・オブ・ザ・デッド」を。
まず驚いたのがゾンビがやたら生きがいいんだよ。動きが速いの。
あのスローモーなでくの坊じゃないの。集団じゃなきゃ怖くない奴らじゃないわけよ。死人のくせに。これはロメロの作ったルールを破ったね。まぁ別にゾンビはゆっくり歩かなきゃいけないって科学的根拠ないんだけどね、あたりまえだけど。
最近のゾンビ物はたしかに動きが遅くないパターン多い。大泉洋の「アイム・ア・ヒーロー」もやたら機敏なゾンビだったね。
しかしずるいよ。速いゾンビとかずるいよ。速くて大量で怖いものなしとか。あっという間に人類滅ぶやん。
このリメイク版ではゾンビのロメロ・ルールを変えたのでホラーとしての緊張感は増している。のんびり感はなくなっちまった。
車で逃げる主人公をゾンビになった彼氏が超全力疾走で追っかけてくるんだぜ。
ゾンビが速いだけでまったくもって絶望的な気分になるな。少年僕が描いたショッピングモール・パラダイスの高揚感が急速にしぼむよ。
ああ速くちゃ無理、生き残れそうもないよ。
ストーリーのテンポも早い。ある意味軽快。冗長な部分なし。
たしかに設定はもうみな知っているわけだから説明くさい時間はとらなくていいしね。
ということであっという間にそこらじゅうが大パニックの手の付けられない状態に。
そいで主人公のヒロインは黒人の無口でごっつい警官に撃ち殺されそうになりながら、やっぱり逃げ込むわけだ。ショッピング・モールに。さぁ来たパラダイスか。
ショッピング・モールには先客がいる。このモールの警備員たちだ。もめる。既得権だ。
このへんが人間のエゴのくだりだけどなんかあまり醜すぎるようには描いていない。主導権をとったりろられたりであっさり。
そして束の間のパラダイス・タイム。
しかしどーもパラダイス・タイムもあっさりしてたな。子供のころの”なんでも手にはいるって最高じゃん!パラダイスじゃん”感が薄かった。それは僕が大人になってしまって飽食の時代だからだろーか。それともこれは束の間だと知ってしまっているからか。どちらにしても僕が変わってしまったのか。。
まぁロメロのリメイク版と言いながらこれは違う映画なのだ。もちろんゾンビ物にある社会批判は盛り込みつつももっと純粋にパニック物、アクション物に比重を置いた映画なのだ。
ロメロは社会批判に重きを置いていたため展開がかったるいという批判もあった。
とはいえ、ロメロのDawn of The Deadのテーゼはしっかり押さえてある。
・ゲームとしてゾンビを狩る。人間の傲慢。死者への冒涜
・愛する者がゾンビになる葛藤。受け入れらない感情
・終わりが見えないという絶望。終末感
・情報がないときの人間社会の脆さ
もう一つロメロ版とリメイク版で共通するのが妊婦。
妊婦というと未来への希望につながりそうだけど、ゾンビはそうじゃない。
今回のリメイク版は妊婦はゾンビにもう噛まれていて、彼氏はなんとか赤んぼだけでもと陰でこそこそやってるんだけど結局皆死ぬ。赤んぼはもうゾンビになって生まれてくるという絶望的な話。ロメロ版の妊婦(主人公)は最後まで生き残ってヘリコプターに乗って安全な未来へ!って希望をもたすエンディングっぽいんだけどそのヘリは燃料がほとんどないんで助からないってことを暗示している。
つまり妊婦という人類の未来を登場させながら、未来などかけらも残さない。完全なる終末。人類の終わり。
それはリメイク版も同じかな。逃げて行った先の島もゾンビであふれてるってエンディングだった。まぁ考えようによっちゃ、人類が全員ゾンビになってしまえばその先の殺戮や差別もなくなってあんがい平和かもね。ゾンビの世界。
というただの恐怖ものというより人間への皮肉を込めた映画なのであった。
思いのほかリメイク版も面白かった。ロメロ版ほどの人間への皮肉は薄かったように思うけどこれはこれでよかった。リスペクトは全編にあるけど、同じにしなかったのがよかったな。
でもロメロ版が見たくなったなぁ。
コロナで外へ出ず自粛しなければならない今こそ見るのいいと思うよ。

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