生きていたんだよな/ あいみょん

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死は生の裏返しであるかどうかという話はしない

古くからの友達が「あいみょんってさ、尾崎豊の出た時になんか似てたよ」って言ってた。
ふーんって聞いてたけどぴんとこなかった。尾崎豊ももう遠くなったし。あいみょんは僕には遠すぎたし。

あいみょんってさ、あれだろ?
麦わら帽子の君がマリーゴールドみたいで
アイラブユーの言葉じゃたりないからキスしてー
ってやつだろ。うん、そうかそうか聴いたことあるよ
抱きしめて離さないー
ってやつだろ。
うんうんいいよな。うんうん。

で、尾崎豊?そうだっけ?ああ、アイラブユーだから?

という感じで、聞き流してしまってその話はそのまま忘れていた。

こないだYOUTUBEみてて偶然にあいみょんが出てきた。
武道館のライブらしい。
ギター一本で大観衆の前、この曲をやってた。

なるほど、尾崎豊って言ってたのなんとなくわかった。なんとなくやで。

熱があった。ステージに立たされてるんじゃなく立ってるっていう像。そして体ひとつでこの大勢のオーディエンスに対峙できるエネルギーを感じた。息をのんで見つめ聴き入るしかなくなる引力。ちから。
それはよくカリスマ性とかって言われるやつだろう。

詞自体もなかなか生々しく、刺激的でセンシティブ。
なんでもこの曲がメジャーデビューの曲だそうだ。この曲をデビュー作とはスタッフも思い切ったな。こういうテーマは表面的にとらえられて、そういう色が付きそうじゃない。歌番組とかで取り上げにくいしな。
でもスタッフは勝算があったんだろう。彼女カリスマ性があるぞ。本物だぞっていう。

歌詞を追ってみると若さによくある死を美化したり肯定したりする歌ではないよね。
ただこういう死についての歌はどうしても共鳴共感があるもんだ。以前も取り上げた「命に嫌われている」もそうだけど、ある年代には惹きつけるものがあるだろう。
でもどちらの歌も死を美化も肯定もしていないし、そもそも自殺や死についてだけの歌じゃないってことだけはわかっててほしいね。悲しいのはそこじゃない。

自分はこう想像し、こう考えたということこそが大事なテーマ。考えろってことだな。命を重くも軽くもするのは、それぞれの思考、人類の思慮によるものだ。
死んだからつらかった、死んだからかなしい。そんな記号じみた簡単な話じゃない。そんな簡単にわかる話じゃない。なんでもわかった気になるのは軽薄だ。
躊躇や葛藤もなく他者の死を写メしSNSで流せるその思考の軽さがそのまま命の軽さになってしまう。

この歌もショッキングな死についての話じゃなくてその前は生きていたんだぞっていう、あくまでも確認の歌だ。死ねばどうとかではなく、もっと言えば自殺した女の子に対してでもなくて、その回りの目や思考がテーマだろう。”生きて、生きて、生きていたんだよな”って想像すること。

まぁなんにしろこの曲がデビュー曲だってのが少し驚きだったわけだけど、こんだけ自分の世界を作れるんだからな。語りは上手いし迫力もあるし、メロディはとても美しくギターのカッティングはハード。かっこいい。
そいでマリーゴールドだもんな。
なんかマリゴールドと忘れな草(forget me not)が重なって見えてきたわ、ぜんぜん違うけど。

この動画を見てると、エレファントカシマシとか井上陽水とかも彷彿としたな。

ということで尾崎豊に似てるって話、いまごろなるほどなって思ったわけです。
少し青臭いところまでね。
僕としては最後のさようならはいらないな。

イントロのシーンでのあいみょんの影が三階席まで伸びている映像、ぞわっとするほどいい。
そして堂々としてるなぁ。ストリートで培われたのかな。それとくどいけどギターのカッティングがかっこいいね。

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