12月/ SION

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いつもこの頃になると僕もやわらかな後悔をする

何十年も何十年もこの12月になると、僕はこの歌が聴こえてくる。頭ん中に流れてくる。
これはもう一つの僕の季節だ。何十年も繰り返された季節だ。

なんせSIONが好きだ。それこそ10代のころから。なんども助けられてきた気がする。
ものすごいリアルを聴かせてくれる。

こんなにも惹きつけられるのは福山雅治もだそうで、毎年この時期になると彼もこの歌をやる。彼もSIONがかなり好きということで、なんとなく彼に好感を持っている。そんなに福山氏の歌を好きというわけではないけれど。あまり知らないのだけれど。

なんにしろちょうど今はこの『12月』が流れてくる季節だ。
この歌のやさしくも切なく、そして素晴らしく僕に響くのは

いつもこの頃になると
何かやり残したようなやわらかな後悔をする

というとこだ。

人間、どれだけ満足した生き方をしているのだろうか。
幸せと満足は同じではないと思う。どれだけ幸せであろうと、人はまったく満ち足りているなんてことには到底ならない。
足りないものがあるから明日も生きるのであって、もっと言えばすべてに満足したら死んでしまうのかもしれない。

ここで歌われているのはまるっきし後ろ向きなマイナスな感情ではない。
たしかにクリスマスなのに一人だったり、浮かれ気味の街とはかけ離れたしんみりとした曲調だったり、何かやり残したような後悔をしたりしてるのだけれど、それは華やかさの裏側にかならずあるもう一つの顔だ。
誰もが浮かれっぱなしなわけじゃなくて、誰もが一人になるときがある。どちらもリアルだ。
”まただれか恋しくてまた繰り返す”のもそうだし、この繰り返すってことが日々であったり一生であったりであると思う。
ここにある後悔は、繰り返す上で満足にはまだ足りていないという後悔で、それはやはり永遠に続く。だからやわらかな後悔なのであって、身を掻きむしるそれではない。自分を卑下するものでも悲観でもない。

こないだフラカンの『深夜高速』を取り上げた。
あの歌で僕が感じるのもこの「やわらかな後悔」だ。
「今までを後悔しています」と言うのとは違う、もっと漠然としたノスタルジーだと思う。
はっきりと後悔しているわけじゃない。悲嘆してるわけじゃない。でも満足してるわけでもない。
出来ることや、行けた選択肢はあったろう、それらを選ばず今ここにいる。今までを否定しているわけじゃない、でも考えることはある。

たしかにこの「12月」では、せっかく手に入れた恋や今日一番の宝は明日屑かもしれないし、捨ててしまってもすべてリセットというわけにはならないし、何が見えたら満足なのかわからない、と途方にくれてはいる。
しかし今は12月であたらしい年はすぐに訪れる。誰もが葛藤のなかでも先へ進むことができる。もがき足りないものを探す。これじゃないんじゃないかと何度も迷い、さまよう。
それが生きているということだってこの歌聞くたびに思う。
行こうぜ行こうぜ見たことのない場所へずっとずっと種をまきに。

そうだな。女性のファンのために福山バージョンも。
横のギターはChar。
ちょっと僕にはスマートで軽やかすぎるんだよな。。

もうすぐ12月8日 ジョンの命日だね。
ちなみに欧米では最近「Merry Xmas!」ってNGらしいよ。多様化の時代だからだって!バカらしいね!

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