忌野清志郎とハナレグミこと永積タカシは国分寺第三中学の先輩と後輩だそうだ。
もちろん歳がぜんぜん離れているから、あとから「ほうほうそうなの国分寺3中なの」となったのだろう。
この組み合わせでどうして「サヨナラCOLOR」をやっているのかというと、竹中直人だ。
ハナレグミのこの曲をえらく気に入った竹中は、これまた好きな女優だった原田知世さんを主演にそのままのタイトル「サヨナラCOLOR」という映画を作った。
そしてこれまた竹中直人の敬愛する忌野清志郎を永積にひきあわせることになったわけだ。
このライブで清志郎はハナレグミの引き立て役に徹しようとしてる、ようにみえる。
永積は座ってギターで弾き語る。
清志郎はその横によりそうように立つ。
背景は星空で、清志郎の衣装もその背景に溶け込むかのよう。これも永積を引き立てているようだ。
1番、2番のバースは即興のハーモニカで曲に訥々とした響きをあたえ、そして最後のコーラスで一緒に歌うのだけど、引き立て役なんだけどやっぱり個性が強いなぁ(笑)すっかり、どブルースだ。
清志郎がつくる曲は直接的で含みをもたさずこちらに刺さってくる曲が多い。状況がそのまま目に浮かぶような。はっきりとした光景に共感をもたらす。
でもこのハナレグミの曲(もとはスーパーバタードッグ名義で発表)「サヨナラCOLOR」はふんわりと色々な解釈ができる曲だ。
色々な人が自分や自分の周りに当てはめて聴くことができる。
具体的な状況の説明はないからサヨナラが誰に(何に)対してなのかはわからない。
でも永積の染み入るようなきれいで静かな声が人を惹きつけて、それ以上の説明はいらなくなる。
そこにこのライブでは清志郎だ。誰が聴いても清志郎。
なんだろな深みと説得力、語り諭すような、そしてあったかさが増し増しになった気がする。相乗効果だ。まるきし清志郎ぽくない歌でも清志郎の歌にしてしまうなぁ。
この歌は誰かに踏み出す決断をうながしてる。
いつも最後には自分と向き合うしかないんだよって。
清志郎が重なることで、清志郎信者の僕なんかはまるで強く背を押されてるような気がしちまうよ。別にどこにも旅立たないけどね。
そして清志郎のほうが旅立っちゃった。
するとまたこの歌の違う面が見えてきたような気がする。
サヨナラから始まることがたくさんあるんだよ
っていうサビがとくに抽象的でいろんな解釈ができる部分だったけど、この服や背景のように星になってしまった清志郎を思うとき、もちろん背中を押すあのやさしさはあるのだけれど、それとはべつに「さよならだけが人生だ」というあの井伏鱒二の漢詩の名訳が浮かぶんだ。
僕にとって清志郎はほんとに大きいものだったし今も大きいからね。
歌い終わってお互い目があったときに二人ともがはにかむのがまたいいんだ。
このはにかみも永遠ものだなぁって思うんだ。
名演。
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