ブレードランナー(1982)

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昨年(2018年)、ブレードランナーの続編「ブレードランナー2049」が公開された。もちろん見に行った。

その前作であるこの「ブレードランナー」は1982年、つまり36年前に公開された映画で、やっぱり僕は映画館に見に行った。

この映画が描いているのは「2019年」つまり今年のことであり、うーむなるほど考えると感慨深いなぁ。
近未来を描いたSFだったけど、今がその”近未来”だものな。空飛ぶパトカーもレプリカントもまだだけど、ドローンやAI、VRなどかなり近づいてきてるね。

ストーリーは近未来、地球の環境破壊は進んでいき多くの人類は宇宙に移住している。しかしその宇宙の開拓は過酷であるため遺伝子工学により開発された人造人間(レプリカント)が奴隷としてその重労働を強いられていた。

そのレプリカントがルトガーハウアー演じる<ロイ・バッディ>をリーダーとして数名地球へ逃亡してくる。やっかいなのは人間と見分けがつかない容姿、しかし人間よりはるかに身体能力が優れているということ。
それを排除する特別捜査官が<ブレードランナー>。この1作目ではハリソン・フォードが演じているデッカードがブレードランナーだ。

この映画を最初に見たときその世界観、まさにカオスで退廃的な近未来な感じでとても引き込まれた。そしてそれは30年以上たったまさに2019年の今でもそんなに陳腐になっていない。リドリースコットが新宿歌舞伎町をイメージしたというその未来の街並みは、なるほどアジアな混沌でたしかに日本語が聞こえたり漢字があちこちに見えたり日本ぽい(けどもちろん日本ではない)。このビジュアルはのちに近未来を描く時のひとつのテンプレートになったと思う。
まぁ映画ではここは2019年のロサンジェルスで、デッカードはL・A警察に所属しているわけだけど。

デッカードは次々と反乱レプリカントたちを始末していく。近未来な街でのアウトロー刑事アクション。
またレプリカントのロイ達は自分たちが短命であるため、なんとか寿命を延ばすために自分たちを開発した博士に接触しようとする。ロイ達レプリカントの寿命は4年だ。

ブレードランナーとレプリカントの対決、というのがこの映画の流れだがそれは善と悪の話では当然ない。排除するがわと排除されるがわの理屈、生命とは?生きるものの自由とは?
レプリカントには偽の記憶を移植することもできる、つまり自分が人間であると信じるレプリカントもいる。こうなると感情があり、記憶があり、寿命におびえる人造人間とわれわれ人間との違いを定義するのは難しい。続編の「2049」ではレプリカントの出産まであるしね。。

つまり生命とはなんなのか、差別そして排除するのはなぜか、という現代ではなおさら取り上げ深く考えるべきに思えるテーマが描かれている。

この1982年版ではレイチェルというヒロインがでてくる。女優はショーン・ヤング。
のちにお騒がさせ女優として有名になる人ですけど、レプリカントを発明したタイレル博士の美しく神秘的な秘書の役。
その実は博士の姪の記憶を移植されたレプリカント。
デッカードがそれを見抜き、彼女は自分の記憶がニセモノで自分が人間ではないということにおののき深く傷つく。いきなりアイデンティティを壊されれば絶望もするだろう。
そしてデッカードは彼女がレプリカントなのに惹かれていく。

さて、ロイ率いる反乱レプリカントも生みの親タイレル博士までたどり着く。
ロイはダリル・ハンナ演じるレプリカント、ブリスの寿命を延ばしたい。
しかしタイレルはいう。
「君たちの寿命を延ばすことはできない。その生きている間を楽しめ!」
ロイは失意のままタイレルを殺し、さんざ仲間を葬ったブレードランナー デッカードを倒しにいく。

 

そしてクライマックス、一番好きなところなのでネタバレをものともせず書く。
雨の廃屋のビル、そこでロイとデッカードは夜通し死闘を繰り広げる。
死闘といったがレプリカントはすさまじく強い。人間デッカードはその前ではなんともひ弱だ。ほとんどぼこ殴り。人間なんてこんなものってか。
どんどん獣のようになっていくロイ。たった一人残り自由どころか寿命までも設定されてしまっている悲しみと憤りを迸らせる。
とうとう追い詰められるブレードランナー、デッカード。しかし力尽きビルの屋上から落ちていくその時、レプリカントのロイは腕をがっしり捕まえ助け上げるのだ。
腰を抜かしたデッカードの前に座り、そして映画史における名場面で名言が。

「俺はお前たち人間には信じられない光景を見てきた。
オリオン座の近くで炎を上げる戦闘艦。
暗黒に沈むタンホイザー・ゲートのそばで瞬くCビーム。
そういった記憶も時と共に消えるのだ。
雨の中の涙のように。
俺も死ぬ時が来た」

そして寿命はつき雨の中うごかなくなるロイ、手にしていたハトが空へ舞っていく。

僕はこのシーンがとても好きで、ルドガー・ハウアーが忘れられない俳優となった。レプリカントが死への恐怖、そして生きているというその意味に苦悩していたということで人間より人間らしく最早”怪物”ではなくなる。
ハリソン君よりルドガーがこれで全部持って行ってしまった。

そしてデッカードは処分しなければならないはずのレプリカント レイチェルと逃避行。それが新作の<2049>につながるわけだ。レイチェルは新型で寿命が4年じゃなかったらしい。

 

 

もうひとつ謎が残されていて、実はデッカード自身がレプリカントだったのではにかということ。それは続編を見るといい。
この映画には劇場版とディレクターズカット版がある。両方みるべき!といいたいけどそうもいかないだろう(僕は劇場完全版、ディレクターズカット版、ファイナルカット版を見たが)

劇場版は空を逃避行しデッカードのナレーション「レプリカントは死を目の前にして生の大切さを~うんぬんかんぬん」が入っているハッピーエンド版。ディレクターズカット版は空の逃避行とデッカードにナレーションが無くスパッと終わっているのと、ユニコーンの幻夢のシーンがある(これがデッカード レプリカント説につながる)

最後に、この映画はその圧倒的な世界観、映像美、細かいところのかっこよさ(デッカードの銃とか)が素晴らしい。そして生とは死とは、人間とはという哲学的な問いもとても残る映画だった。人とは、いや生きとし生けるものは、すべからく生まれ死にゆくもの。ぜひ見るべき。

追記 2019,7,25
ロイ・バッディ役のあのルトガー、ルトガーハウアーが亡くなったというニュースが入ってきた。
2019年奇しくも映画で設定されていた年だ。

 

コメント

  1. […] 彼を最初に見たのはリドリー・スコットの名作「ブレードランナー」だ。 役のロイ・バッティは人造人間。アンドロイドでありながら自分はどこからきて(生)、どこへいくのか(死) […]

  2. Really Got Me より:

    […] 彼を最初に見たのはリドリー・スコットの名作「ブレードランナー」だ。 役のロイ・バッティは人造人間。アンドロイドでありながら自分はどこからきて(生)、どこへいくのか(死) […]

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