ハラキリ

この記事は約2分で読めます。

死者にムチうつようで申し訳ないが、校長が死ぬな。
それこそ身を挺して子供の自殺を防ぐべきの大人が自殺するな。

自殺するのだから、ひどいプレッシャーがあるのは想像が出来る。いや想像以上のプレッシャーなのだろう。でも僕は憤然とする。

ニホンには古来ハラキリの精神がある。しかし古来のハラキリは”死すべき時”を真剣に考えていた、のだと思う。安易に死を選ぶ精神じゃなかった。
現代はとても近視的だ。大局で物事を捉えようとしない。それは想像力の減衰だと思う。思考の停止だと思う。

僕も自殺する人間の心理がわからないでもない。でも僕は思考を止めたくない。僕は合理的なのかもしれない。だから考える「死んで何になるのか」
そんなことを言うとすぐ反語が出そうだ「生きて何になるのか」
でもそれを考えるんじゃないの。考えないでそんなこというから思考停止なんじゃないの。「考えても思いつかない」なんて生きてればいつまでも考え続けられるじゃないか。そんなのは簡単に考えつかないから哲学なんじゃないか。なぜ校長が進んで考えを放棄する?

教育に携わろうと思う人は、何を教育と捉えているのだろう。校長は自殺して何を守ろうとしたのか。子供たちじゃないことは間違いない。これは現代のハラキリかもしれないが武士の志とは程遠い。
あまりにも残念だ。

”生きるのがつらいとか
しんどいとか
めんどくさいとか
そんなことがいいたくて
えっらそうに言いたくて
二酸化炭素吐いてんじゃねぇよ”
「メリモ」/syrup16g

 

#つれづれ

コメント

タイトルとURLをコピーしました